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凛女のススメ 著者インタビュー 第4回 国分文絵「女性としての人生を精一杯楽しむ30歳」インタビュアー ファッションコーディネーター 富澤恵以小

2015/11/27 [ マネー・保険国分 文絵 ]

凛女のススメ 著者インタビュー 第4回 国分文絵「女性としての人生を精一杯楽しむ30歳」
インタビュアー ファッションコーディネーター 富澤恵以小


「女性としての人生を精一杯楽しむ30歳-出会いを大切に、笑顔で過ごす日々-」

国分文絵さんは、マニュライフ生命保険株式会社でセールスパーソンとして活躍されています。セールスパーソンとして営業成績で評価を得ることはもちろん、採用と育成にも力を入れる他、会社の様々なイベントやセミナーに積極的に取り組み、その集客力も素晴らしいと評判です。このように、バランスよく仕事を楽しんでいらっしゃる国分さんから様々なヒントを得ようと、富澤恵以小がお伺いいたしました。
 

T:まず、30歳のころの国分さんはどんな感じでしたか?
 
K:はい、私は28歳で結婚をしました。30歳のときには、民間の日本語学校で日本語教師と日本語教師の育成をしていました。31歳で現在14歳になる娘を出産していますから、既に妊娠していた期間もありますね。
 
T:なぜ、日本語教師という職業を選ばれたのですか?
 
K:私は、18歳のときにプリンタのメーカーに社長秘書として就職しました。当時、父親がリストラされ家計がかなり逼迫していましたから、奨学金をもらって大学に通うより、少しでも早く社会に出て働きたかったのです。勤めた会社では、秘書の真似事の様な仕事をしながら頻繁に展示会に出展していたため、その手伝いもしていました。それがきっかけとなり、イベントの仕事の楽しさを覚え、ナレーターの派遣会社に所属しました。プリンタメーカーの社長は、快く送り出してくれ、その後も継続的に展示会のナレーターの仕事をくれたことが大変嬉しかったです。選挙の鶯嬢として、大臣を経験されたこともある代議士をお手伝いしたことも良い思い出です。ナレーターの仕事には、若くないと仕事がこないという寿命があると感じていましたから一生涯手に職をというイメージで、20代後半のときに日本語教師の資格を取りました。自身が、資格を取得した学校でそのまま採用されたという経緯です。
 
T:日本語教師としての経験をもう少し教えてください。
 
K:はい、日本語教師になったら教壇に立ち、外国人たちに日本語を教えるというイメージを持って入社したにも関わらず、生徒募集の仕事もありました。当初違和感があったのですが、「自分の教室を生徒で一杯にする力がなくて、何が教師だ!」という社長の言葉が印象的でした。自身のトライアルレッスンで、自身の説明で、教室を一杯にする。という意識を持ち始めたことから、結果的に熱心に営業をすることになりました。入社3ヶ月でチームを任されるようになり、半年後には140名の教師の中で生徒募集の成績がトップになりました。
 
T:何事にも一生懸命に取り組まれる国分さん。素晴らしいですね。当時のパートナーは、国分さんが働くということについてはいかがでしたか?
 
K:パートナーとは10代の後半から付き合っていましたから、結婚を期に仕事を辞めるという選択肢もありませんでしたし、働くことについては当然のことになっていました。ただ、家事の協力は一切ありませんでしたから、早起きして家事をこなし仕事に行くという毎日でした。
 
T:まぁ、国分さん世代でもそうなのですね。(因みに富澤は、50代後半。どちらかと言えば、結婚か仕事か悩んだ世代です。)お嬢様を育てる上で、意識されたことはありますか?子育てについて、エピソードがあればお聞かせください。
 
K:実は、そのころ私は仕事に夢中になっていましたから、出産しようと思っていたわけではないのです。妊娠を知ったときには、「嬉しい!」という気持ちより「困った!」と思ったのが正直なところです。実際、妊娠9ヶ月目まで教壇に立っていました。ところが、その私が子どもを産み落としたとたんに、母親としての愛情に目覚めてしまったのです。生後5ヶ月から娘を保育園に預け仕事をしていましたが、お迎えに行く途中は1秒でも早く会いたくて、ずっと走っていました。電車の車両をいち早く乗り換え口に近いところへと、車内を歩いていたのを覚えています。保育園に迎えに行き、私を見つけたときの娘の嬉しそうな表情や歓声を上げる姿は今でも目に焼きついています。子育てを通じて、人のためだけに何かをすることの喜びや、忍耐強さが身についたように思います。これが、仕事に大変活かされたことでもあると思うのです。世界各国様々な価値観がありますが、「子は宝」という親の気持ちは万国共通なのではないかと感じます。
 
T:子育て専念期に大学での役員秘書に転職、その後現在の仕事に就かれたそうですが、生命保険業界を選んだ理由は何だったのですか?
 
K:私は、40歳を迎えたときに約20年間を一緒に過ごしたパートナーとの離別を考え始めていました。人生折り返し地点だなぁと意識したとき、人生のゴールを共に迎える相手はこの人じゃないと思っていたのです。離婚をするにあたり、経済的自立がテーマとなりました。娘と2人で暮らしながら、大好きな海外旅行を諦めない収入を得るのは、並大抵のことではない。そして、当時40歳だった私を迎え入れてくれる会社も、業界も、それほど多くはありませんでした。そこで、収入が青天井と言われる生命保険の営業に身を投じようと決心したのです。10人中9名が会社を去るという厳しい業界ではありますが、外資系の生命保険会社は自分で自分の行動、方針を決める自己責任の世界であり、私の感性には合っていたように思います。
 
T:お勤めになられてから、私のところに最初に訪問して下さった時のことをよく覚えています。国分さんが、生命保険のお仕事を選んだ事にびっくりしたよりも、「生命保険の大切さ」一生懸命に伝える姿に、生命保険の価値観が変わった瞬間でもありました。今では、トップセールスとして業界を牽引する立場へと成長された訳ですが、活躍の源は何でしょうか?
 
K:私は、運が良いと思います。人に恵まれています。振り返ってみると、常に私のキャリアをサポートしてくれる存在の方がいました。前職の上司に言われた言葉ですが、「その一生懸命さが人を動かすのだよ」と言うのを覚えています。大学で、私がイベントを企画・開催したときに守衛さんまでが、集客に協力してくれたという経験があります。いつも笑顔で守衛さんに接していたこと、またイベントに必死に向かう姿が協力者を得る秘訣だったのだと。私は、人から頂いた1分、1秒を大切にしようと心がけています。まだまだ、未熟ですが意識していきたい事でもあります。そして、これまで私に様々なチャンスをくれ、力を貸してくれた全ての方々に感謝しています。
 
T:その感謝の気持ち、人に恵まれていると感じることが国分さんの良さではないでしょうか。一生懸命に取り組む姿は、こちらもお手伝いしたくなりますね。さて、国分さんの成長に欠かせない出会いに「凛女のススメ」の推薦文を書いてくださった、朝倉千恵子先生の存在が大きいと伺っています。
 
K:そうなんです。私が朝倉先生の著書に初めて出会ったのは、まだ日本語教師をしていたころでした。一瞬で、仕事を楽しみながら成果を出し、女性としての可愛らしさもある朝倉先生の虜になりました。実は、生命保険業界に入ってから朝倉先生と運命的な出会いをし、トップセールスレディ育成塾を受講することとなりました。たった20時間の研修は、わたしにとってかけがえのない大切な経験となり、受講後にみるみる営業成績があがったのは、周りも驚くほどでした。一度学んだことも、直ぐに忘れてしまいます。繰り返し学び続けようと思い、現在も実践しています。また、私の人生を変えた朝倉先生のお話を1人でも多くの方に聞いていただきたいと毎年講演会を開催しています。今年も、12月8日に行いますから、是非いらしてください。
 
T:私も何度か朝倉先生にお会いしていますが、その度に元気になっている気がします。国分さんは、様々なイベントの企画をされていますよね。あっ、ご旅行も好きでいらっしゃいますね。
 
K:はい、楽しいことを考えるのが大好きです。旅行は若いときから好きですが、最近は旅行の予定でも入れてしまわないとついつい仕事をしてしまうので、敢えて休みを取り海を眺めに旅行しています。イベントについては、人と人を繋ぐ場として皆さんに喜んでいただけるのが嬉しいことです。「縁」の大切さを実感しているからこそ、良質な縁をご提供できる場を作りたいと思っています。
 
T:今年の朝倉先生の講演会も、楽しみにしています。それにしても、国分さんの企画力・行動力には感心するばかりです。では、これからの人生、一人の女性として、母として、子としてのビジョンをお聞かせいただけますか?
 
K:仕事は、私を成長させてくれる大切なものですから、ずっと仕事をしたいと思っています。どんな形になるか分かりませんが、リタイアメントを目前にしたときに「最後がこの仕事で良かった!」と思える仕事をしていきたいですね。プライベートでは、ラグジュアリーな客船での世界一周旅行を実現したいと思っています。母としては、離婚を期に父親役もすることになったことから、以前より怖い母親になった気がします。「もっと甘えさせてあげたいなぁ。可哀想だなぁ。」と思うこともありますが、母一人子一人だからこそ、私がいなくても生きていけるように「人から求められ、選ばれる女性」に成長して欲しいと考えているのです。母も40代前半のときに離婚しました。再婚した現在のパートナーは素晴らしい男性です。じいじ(お父さんと呼ぶのが気恥ずかしく、こう呼んでいます)と母と共にゆっくり旅行に行きたい。母のことを、娘のことを、私のことを大切にしてくれるじいじには、本当に感謝しているんです。
 
T:「選ばれる女性になる!」素敵な言葉ですね。世界一周旅行には、是非お供いたします!!最後に、「凛女」とはなんでしょう?
 
K:「凛女」というのは造語なのですが、音の響きや書いた雰囲気もとても気に入っています。女性としての人生を幸せに過ごすための秘訣が、凜女の5か条にあります。女性は、男性より様々な喜びに満ちた生き方が出来る存在。私は、何度生まれ変わっても女性でいたいと思います。女性だから出来ないことより、女性だからこそ出来ることがたくさんあるからです。「凜女とは最も贅沢に女性としての人生を謳歌する、艶やかな存在」かと思います。
 
T:国分さんの凛女率は・・・
 
K:50%ですね。まだまだ、道半ば。年齢を重ねるごとに、賢く、しなやかに、美しくなっていきたいです。
 
T:まぁ、まだまだ伸びしろがあるという事でしょうか。
100%、いえ無限大の凜女を目指すということをお約束してインタビューを終わらせていただきます。国分さん、楽しい時間をありがとうございました。




国分文絵(生命保険)

富澤恵以小(ファッションコーディネーター)